2025年9月15日に逝去された健康保育学科教授・岡本直行先生のお別れ会を、12月22日に開催しました


 本会は、長年にわたり本学の教育・研究ならびに地域貢献に尽力されてきた岡本先生のご功績を偲び、深い感謝の意を表するため、健康保育学科主催により執り行われました。

 当日は、健康保育学科の在学生をはじめ、会場での参列およびオンライン参加を通じて、約200名の卒業生が集いました。

 短期大学第26期生から大学第3期生までの卒業生17学年と在学生4学年から寄せられた、先生への感謝の言葉や思い出が動画で紹介され、岡本先生のお人柄を偲ぶひとときとなりました。

 また、あわせて岡本先生に対する名誉教授称号授与の儀が、厳かに執り行われました。


 最初に黙祷をいたしました。

 


 公文 裕巳 学長が挨拶及び岡本直行先生のご功績を紹介いたしました。

 


 在校生を代表して、岡本ゼミ所属の大学4期生が挨拶をいたしました。

 

学長挨拶

岡本 直行 先生 お別れ会  

(2025年12月22日 地域共生推進センター棟講堂)

 

ご挨拶 


 新見公立大学学長の公文でございます。お別れ会の開催にあたり、岡本直行先生の
ご経歴とご功績について紹介するとともに、先生との交流の思い出をとおして追悼
の想いを語らせていただきます。 

 岡本先生は、昭和44年6月7日、広島県呉市のお生まれで、享年57(満56歳)
の若さで、本年9月15日早朝にお亡くなりになりました。誠に残念です。先生の優し
い笑顔や言葉、情熱に溢れるお姿にもう接することが出来ないと思うと哀惜の念に堪
えません。 

 岡本先生は、1993年3月広島大学教育学部 教員養成課程 美術専攻を卒業、
1995年3月広島大学大学院 学校教育研究科 修士課程 美術教育専攻を終了さ
れ、1997年から2006年3月まで、今治明徳短期大学 幼児教育学科で講師、助教
授をお勤めになりました。2006年4月に本学にお移りになり、以後、短期大学幼児
教育学科講師、准教授、2019年4月に4年制化した健康科学部健康保育学科の
教授に就任され、足掛け20年間本学の保育者育成、学生教育に尽力されました。
この間、2019年に初代の地域共生推進センター長、2020年から本年9月まで、健
康保育学科長として、ご自身の中に確固たる信念と考えを持ちつつ、周りの方々の意
見を良く聞く調整役として、学科ならびに大学の発展に大いに貢献くださいました。
 
 岡本先生は、大学院時代から彫刻家としての芸術活動を本格的に開始され、国内
最大級の公募展である『日展』において、1993年に初入選を果たし、その後、2009
年には日展会友に推挙されて中央画壇で活躍されました。『日展』では17回の入選
を重ねられるとともに、地元においては、広島日展会会員として選抜展への出品など
をとおして、地域の芸術文化の振興にも尽力されました。また、文化庁主催の国民文
化祭美術展での「佳作」をはじめ多数の受賞歴を有しています。 

 本学の授業においては、芸術家として、美術教育の専門家としての力量を遺憾なく
発揮され、保育現場での活用を見据えた作品制作の指導をとおして、学生の造形に
関する基礎的能力の育成、ならびに、色彩や画材、素材に関する知識の修得を勧
め、学生一人ひとりの表現力の向上に尽力されました。
 
 また、地域とともにつくる表現発表会、「にいみこどもフェスタ」や「ゆめのぽけっと」
では、舞台美術を担当されてきました。常に子どもの視点から、一つ一つの素材が
舞台でどのように映るのかを丁寧に考え、素材の選択、配置とともに色彩や形の工夫
が舞台空間全体を如何に豊かにするのかを、学生たちに実践をとおして提示されて
きました。これらの教えとともに、岡本先生の教育者としての姿勢は、本学学生の保
育者としての成長の中に確実に受け継がれているだけでなく、健康保育学科の教育
文化として継承する魂として息づいています。 

 ところで、私が岡本先生と個別の案件で親交を深めることになったのは、2017年、
当時設計段階にあった新棟地域共生推進センター棟のエントランス外壁をライムア
ートで飾る構想を思いついたことに始まります。新見の基盤産業である石灰、即ちラ
イムを素材とするアートを「レガシー」として位置づけ、新棟のブランドイメージを確立
する考えに、岡本先生は専門家の立場から大いに共感し、協力してくれました。2017
年12月に、二人で一級建築士であり、作家である浪崎文彰氏を東京都世田谷区の
事務所兼自宅に尋ね、初めて作品を拝見しました。大理石を思わせる質感と美しい
色彩に感動したこともさることながら、岡本先生のフレスコ画を始めとする石灰を素材
とするアートへの造詣の深さに驚かされたことをよく覚えています。その後、浪崎氏を
新見にお迎えして、2018年3月の第27回鳴滝塾での特別講演、2019年11月か
ら2か月余りの会期で開催された新見美術館での「浪崎文彰 ライムアートの世界
展」など、浪崎氏を中心とする話の輪に、本日の会にも出席されています美術愛好家
の北陽商会 山崎靖幸様、新見美術館の藤井茂樹館長が加わりました。ライムアート
の設置については、オリジナルの壁画を作成する当初の案から作成済の作品3点を
展示する案となり、現在の形となりました。また、同時期に、当時、新見美術館の倉庫
に眠っていた大桐国光先生のブロンズ像「エーゲ海より」をエントランスホールの奥に
設置することを思いつき、岡本先生の設計で新棟のモダンな顔として2020年10月
に完成しました。 

 ライムアート3点は、「爛漫の春にほとばしる情熱」を表現する「TOKOMEKI」、「凛
として流れる時に知る学びの厳しさと冬の寒さ」を顕す新美大賞受賞作「YASURAGI Ⅲ
」、そして「いつの日にか夢を志に変えて」挑戦する姿をイメージする 「IDOMU」の
順にならんでいます。ライムアートが本学学生の情熱と忍耐力を鼓舞する存在となっ
ていることに加えて、「エーゲ海より」のブロンズ像の少女が、遥かなる夢への憬れを
抱き続けるように語りかけていて、新棟エントランスの一連のアート作品が、岡本先
生とともに作り上げた新見公立大学のレガシーとして未来に継承されることを誇りに
思っています。 

 岡本先生と共に創る次なるレガシーを目指して、ここ数年間、暇を見つけては新見
市と大学の未来を拓くプロジェクトについて二人で話し合いをしてきました。最終的
に、高月名誉教授が始められた新見駅西サテライト「ひだまりのいえ」で使用している
モンテッソーリ教具のコンセプトを生かして、新見産のヒノキ材を使用する新見公立
大学発の発達支援感覚教具を開発するプロジェクトを選択しました。その後、担当研
究員の候補者(現在の森 英顕教授)との面談を終了し、本格的に事業を進める協議
を始めた昨年の10月初旬、岡本先生から、晴天の霹靂のように、進行すい臓がんで
肝臓に転移した腫瘍による腹痛に見舞われたことの報告を受けました。岡本先生
は、その時も、それからも極めて冷静で、進行がんという過酷な現実に直面しながら、
それに抗うことなく全てを受け入れ、まるで「聖人」のように残された時間を前向きに
過ごされました。私としての救いになったことは、この領域では最先端の治療を実践
し、岡山大学医学部の同級生であり、携帯電話のショート・メールでも連絡が取りあえ
る友人の倉敷松田病院理事長の松田忠和院長に治療をお願いできたこと、ならびに
厳しい化学療法と終末期を支えてくれるパートナーとしての由香様の存在を初めて知
ったことでした。岡本先生は最後まで、学科長としての役割を果たしてくれましたが、
本年9月15日午前3時40分の松田院長からのショート・メールで3時28分に逝
去されたことを知らされました。同日、松田病院で、岡本先生の少し痩せたものの安
らかなお姿に最後のお別れを告げるとともに、初めて奥様にご挨拶とお礼を申し上げ
ました。 

 新見市と大学への想い、そして健康保育学科の同僚と学生たちへの気配りと優しさ
の塊であった岡本先生を失った喪失感は当分癒えることはないと思います。しかし、
先生が残された健康保育学科の教育文化として継承する魂や新棟に残されたアート
としてのレガシー受け継ぎ、新たなレガシーの創造に向けて歩みを進めて、皆で恩返
しをしたいと思っています。 

 在りし日の岡本先生の笑顔のお姿を偲びつつ、改めまして、心からの哀悼の意を
表し、謹んでご冥福をお祈りいたします。 

2025年12月22日 

新見公立大学学長 公文 裕巳  

 

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